ロバート・カーク Robert kirk 謎の卵

今は廃墟の教会跡と墓地          奥に見えるのはドゥーン・ヒルの丘
今は廃墟の教会跡と墓地          奥に見えるのはドゥーン・ヒルの丘

 謎、謎といわくありげに申し立てていますが、いったいロバート・カークのどこが、どう謎なのかをご理解頂かなくては、この先は成り立ちますまい。 ロバート・カークも、ついに、この段階まで来たのかという、感慨を押さえつつ、一歩を踏み出すことにいたします。

 こころみとして、ロバート・カークについて、関係の方々と取り交わした最近のやり取りの中から、謎の一端を紹介させて頂けそうな部分を抜き出して掲示いたします。

 謎の雰囲気を感じて頂くには、手っ取り早いやり方かと思いました。もっとも、謎の全貌はこんなもんじゃありません。謎の取っ掛かりぐらいにお考え下さい。

 さて、ご 参考資料となりますかどうか(^_^;)

 

※抜粋の1

 

生前の人物像については、あまり良くわかっていないようですし、興味の中心ともならないようです。

 実は、この生前の人物像こそ、最も面白く思います。ここを調べることこそ、有意義な成果をもたらせるのではないかと思っております。 最も知りたいのは、史実としての生前の姿です。現地にはそうした考えで調べている人はいないのでしょうか?

 本当の意味で謎というのは、妖精を詳しく研究しているうちに、いつの間にかこの世から消えてしまった人だからというのではなく、300年前の牧師としては史実としての記録が、あまりにもあいまいすぎることと思います。

  例えば、御著では、ロバート・カークはドゥーン・ヒルに散歩に向かったまま、行方不明になった逸話をご紹介されています。 他の情報では、ロバート牧師は、ドゥーンヒルの丘のふもとで死んでいるところを発見されたことになっています。

 死んでいるところを発見して家に連れ帰った話もあれば、家で死んだ話もあります。死んだ話の場合、チェンジリングの話に繋がって行きます。

 このように死亡時の状況が、いくつもの話に分かれていること自体、おかしく思います。少なくとも牧師の死は、一般の個人の死とは、事情が違うからです。 御著でも詳しく述べられていらっしゃる通り、宗教家にとっては、特にややこしい時代でした。 教区を管轄する上部機関にとっては、ロバート牧師の死亡原因を正しく把握する必要がありました。

 なぜなら、例えば対立する宗派によるテロが原因になっていないかどうかを確かめなければならないからです。

 つまり、ロバート・カークの死は、所属する宗派にとって、その状況と原因を正しく記録されねばならない最重要事項であったはずなのです。 所轄の警察、役所などの公的機関、または、教会の上部機構などの作成した記録文書はないのでしょうか?あるなしをはっきりさせることだけでも、重要です。 にもかかわらず、あるかないかの話題も出ませんし、本当のところ記録はあるはずなのに、ロバート・カークの死の状況はぼやけています。なぜでしょうか?

 

 行方不明説をクローズアップするだけでも、新たな疑問が噴出します。 残されたロバート牧師の妻にとっては大変な出来事です。間もなく生まれる子供を身ごもっているのです。きっと、大々的に捜索の行動に出たはずです。

 辺り一帯は、父親の代から続くだけではなく、親戚も住むカーク一族ゆかりの教区です。一族総出はもちろん、村の人たちも協力して徹底捜索したことでしょう。まもなく生まれる子供のことは、捜索隊の結束もテンションも高めたでしょう。そんなに広い場所でもないはずです。地元の人には、的確な捜索ポイントもわかっていたことでしょう。にもかかわらず何の情報も得られなかったのでしょうか?

 本当に、神隠しのように、何の痕跡も残さず消え去ったというのでしょうか?

 であれば、村の歴史に残るほどの大捜索を行ったものの、ついに見つからなかったという具合に、捜索隊の苦労話くらいは残っても良いはずです。

 

 その後の妻の言動の中に、捜索にまつわる話が出てこないのも不思議です。 捜索したものの、ついに行方はわからず、だから、妖精に連れて行かれたのに違いない…… こんな調子で妻は納得し、静かに余生を暮らしたのでしょうか?

 ロバートは妖精の禁をおかしたために妖精の世界に連れて行かれた…… と、信じたら、生まれた子供にもその影響が及ぶかもしれないと思わなかったのでしょうか? いつまた妖精が現れ、今度は子供を連れて行くかもしれないのです。住んでいる場所は、それこそ、妖精に囲まれているような環境空間です。怖くて生活できなかったのではないでしょうか? 引っ越ししたり、子供をよそに預けたり、何か、アクションが見えてもおかしくないと思います。そういう逸話を残している様子はありません。

 アバーフォイル村史に、カーク一族と村人たちによる合同捜索に関する逸話、または、その痕跡のようなものは残ってないのでしょうか?

 さらに、行方不明になったものが、どうして100年後にお墓をつくってもらえたのか、その理由も知りたいです。

 

 行方不明と言うキーワードに焦点を合わせただけでこの始末です。 でも、前述申しましたように、興味の中心は、史実に基づいた生前の人物像です。こちらのほうこそ疑問の宝庫。まさに疑問であふれかえっております。

 そのうちのいくつかだけでもわかれば、ロバート・カークとしては、画期的な論説を構築できると思います。

   世界には、ロバート・カークファンも数多くいると思います。もしも現地ネイティブの研究者さんと合同研究できたら、成果は、世界的な情報レベルになると思います。 

 新たなロバート・カーク像を構築できれば、アバーフォイルから、世界へ向けての情報発信ができるわけですから、地元の利益に繋がることになろうかと思うのです。そう思うので、なんとかアバーフォイルと繋がりたいと考えるのです。 

 公的な機関との交流もできるかもしれません。 実は、独自の人物像を持っております。生前と死後は、繋がっており、生前の状況を良く調べることこそ、死の真相を解明する手がかりにもなるとも思っております。」

 

※抜粋の2

 

 「ここでの詳しい説明は控えますが、ロバート・カークへの関心の始まりは、「妖精の知られざる国」の訳文のほんの一言にひっかかったことです。 
 もしや?と疑問が湧いて、気まぐれで調べると、驚きの展開が待っておりました。展開した先に見えたのは、当時創設間もない、英国王立協会、いわゆる科学アカデミーとの関連です。 
「妖精の知られざる国」の本文から、この関連を見い出したり指摘しているのは、ひょっとすると、世界で一人だけではないかとたわけたことを考えております。 
 たわけた考えかもしれませんが、たとえ勘違いであってもこういう気分に浸れることで、ロバート・カークへのこだわりが今日まで続いているのかもしれません。少なくとも、わずかな言葉を手がかりに、推理だけで、そこへたどり着いたという達成感のようなものは有ります。 
 とは言え、確かめない限り、いい加減な話であると思っていたのですが、最近「妖精の知られざる国」の中に、ロバート・カークが出した手紙にロバート・ボイルの名前があることを知って動揺しております。ここに出て来たボイルとは、あの科学アカデミーの会員だったボイルかもしれないからです。 
 知っている人には、当たり前の情報かもわかりませんが、科学アカデミーとの繋がりを確かめることは、ロバート・カークの人物像を探る上で、決定的な要素を含む、重要なチェック項目の一つと考えております。 
 ごくわずかな文章の端くれを読んだだけで、科学アカデミーとの関連を見通すことができたとなると「妖精の知られざる国」は、そして、それを著した人物は、いかほどに科学アカデミーの影響を受けていたのでしょうか…… 。」

 

※抜粋の3

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/王立協会 
(もしくは、検索窓で、王立協会で開きます) 

 この協会の設立から、近代科学は始まったと言って良いと思います。 
 設立は、1660年。ロバート・カークがエジンバラで文学修士を取るのは、その翌年の1661年ということになります(貴重な情報ありがとうございました!早速利用させて頂いております)。 
 つまり、ロバートの思春期、学問の道を開始するのと平行する時期、地域的にもごく周辺で近代科学のうごめきが巻き起こっていたと言うことです。 
 もちろん、ロバートがアカデミーの会員であったのではありません(のはずです)。 
 しかし、アカデミーの周辺、例えば聴講生のような形で、アカデミー周辺に出入りしていたかどうかを調べる価値はあります。 
 公文書館などに残るアカデミーの記録を徹底調査すれば、何がしかのロバート・カークの痕跡を発見できるかもしれません。 
 もしも、痕跡を発見したら、ロバート・カークの大スクープになると思います。 
 が、そこまでこだわる現地のネイティブさんが現れない限り、おそらくこの作業は、無理でしょうけれど(^_^;) 
 それに、監視カメラの映像でも残っているなら、ロバート・カークの姿を科学アカデミーのロビーで見つけられるかもしれませんが、文字しかない時代の記録にロバート・カークの痕跡を発見できる確率は、極小でしょうね。 
 もっとも、アカデミーの記録を調べることができなくとも「ロバート・カークプロジェクト」には、影響はありません。 
 問題点の指摘だけで十分と思っております。 
 指摘の根拠は「妖精の知られざる国」の本文にあります。 
 わずかな文章ですが、当時の科学アカデミーで盛んに議論されていた論点と対比させることによって、関連を浮き彫りにできます。 
 監視カメラの映像の代わりに、著作の中にあるロバート・カークの痕跡を示すのです。」

 

※抜粋の4

 

「ロバート・カークの遺体は、どこに行った?

 

 この件に関して、推理したものを井村先生にお話しました。 

 ロバート・カークについて、初めて語ったときのことです。出会いの部分から、だらだらと長引く話を、辛抱強く黙って聞いて下さっていた先生は、このくだりになると、突然「まるで、カーク殺人事件だね!」と叫ぶように言って、ニコニコしながら、とても面白がって下さいました。忘れられないシーンです。 
 確かに、死亡を一種の事件として考えると、たくさんの推理やら、明らかにしたいことが現れ、面白いです。 
 けれど、正直申しまして、ロバート・カークの醍醐味は、事件の追求ではありません。そんなものは、おまけのようなものと思っております。 

 では、どんなものか? 
 具体例を申します。 
 前回のメールで、死後の伝説は、どこかシェークスピアの劇じみているという指摘をさせて頂きました。 

 妖精学では、シェイクスピアは、中世の妖精研究家の一人です。 
 妖精の活躍する「夏の夜の夢」は、16世紀末に書かれ、17世紀になってジェームス1世の時代に宮廷内で上演されて人気を博したと言うことです。

 宮廷で流行したものは、順番におさがりとなって庶民のブームになります。 つまり、17世紀中頃、ロンドンを中心とした都会で、妖精はちょっとしたブームになっていたわけです。 
 ロバート・カークは、17世紀中旬から後半の人です。そこで、時期が重なるとも言える都会の妖精ブームとロバート・カークや著作物との間に、何か関係はないかと思いました。

 ロバート・カークが、ロンドンとの行き来を比較的日常的に行っていたとしたら、都会の事情に通じていたことになります。妖精ブームをトレンドとして感じたり、シェイクスピアの劇を鑑賞していたとしても、何んの不思議もありません。 
 ウェブ上に、実際、ロンドンとの行き来を示す情報もあるらしいことは知っております。 
 当時のアバーフォイルが、都会と隔たった田舎であったとして、都会の事情に明るい人は、どれくらいいたでしょうか? 
 おそらく、ロバート・カークは、教区内でもっとも都会(ロンドン)の事情に明るい人物の一人だったと見て良いと思います。 
 ロバート・カークの死後の伝説が、シェークスピアの劇じみているのは、おわかり頂けると思います。 
 もしも、誰かの創作としたら、シェイクスピアを良く知る者、言い換えれば、都会の事情に明るい人物の仕業と言うことにならないでしょうか? 

 ですから、もしかしたら、ロバート・カーク本人が、伝説を流布した張本人であるとの推理も可能と思うのです。 
 もちろん、確かめることなどできるはずはありません。 
 しかし、通説では、伝説は死後に流布されたことになっているわけです。これを、強引に生前、しかも、こともあろうにロバート・カーク当人が流布した情報だったことを、それなりに提示できたら、準スクープ、銅メダルくらいの価値はないでしょうか(^_^;) 
 いずれにせよ、こういう視点を持つと、それからまたまたあちらこちらへと展開が始まります。
 こうした、勝手な妄想連鎖を面白いと思うし、ロバート・カークの通説を覆して、あらたな人物像や、歴史観を見い出せるところが醍醐味と思っております。」

 

 ※シェイクスピアとの関連を指摘している人など、世界のどこにもいないはずです。でも、こんなものは、まだまだ序の口ですから。

 ここまでどうにかついて来てくれた方、せっかくだから、この先もうしばらくがまんして付いて来てくれませんか?(^_^;)

 ついに、謎の卵は割れてふ化したのです。ヒナから成鳥へと育つ姿にご期待下さい。 

 

 ※都合上、多少の編集を加えています

 

 

「ロバート・カーク 伝説の謎」につづく 

 

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※目次。他のページの紹介です。

 

「ロバート・カーク ロンドンの謎」

「ロバート・カーク 死因の謎に挑む」

「ロバート・カーク ついに正体を現す!?」

「ロバート・カーク チェンジリングの謎(Ⅰ)」